せけんばなし

文化                      浅田次郎さん「勇気凛々ルリの色」

浅田次郎氏が自衛隊に入隊したのは昭和46年。朝霧駐屯地はそれまで米軍が使用していたので、
すべての便器が洋式であった。当時、入隊者の多くは農村出身者で占められていて、ほとんどの家が
汲取式であった時代、まず教育の第一課目は「洋式便座の使用法」であった。


「外人は大と小を同時にできないので、このような形をしておる。何事も基本を正しく身につけるように。
くれぐれも前向きに座ったり、便座に土足でしゃがんだりせぬように!鍵がついていないが、気になるなら
ドアのトッテを握っていれば良い」

ところが自衛隊にはドアをノックするという習慣がなかった。幹部室や事務室に入る時も「○○二士、
××班長に用事があって参りました、入ります!」と叫んでやおらドアを開ける。こういう躾は徹底され
当然トイレの作法もこれに準ずる。

鬼班長の説明にも拘わらず半数以上は正しい使い方を会得できない。

ズボンとパンツを完全脱却して前向きに座る者が多く、あとから来た客にあられもない姿を晒してしまう。
そこで後ろ向きに土足で便座の上にしゃがむ「和洋折衷型」が考案された。これなら完全脱却しなくても
良いし、ドアのトッテも確保できる。しかし入隊当初のストレスで皆下痢をしている。緊急を要するので
ノックもそこそこに、力まかせにドアを引いてしまう。そして「和洋折衷」はひとたまりもなく確保したドアと
ともに転がり出てしまうのだった。

 ごくたまに身体が軟らかく器用な者がいて、初志貫徹の前向き姿勢のまま半身を捻じ曲げてトッテを
握っていたりする。その場合はあお向けに転がり出る。完全脱却状態で。


 四半世紀前の文化と安保の断層で笑うに笑えぬ労苦をなめたが、それぞれが便器の正しい使用法を
習得した頃は敬礼の格好もさまになる兵隊になったのであった。

挑戦                          星 新一さん「マイ国家」

「もしもしカメよ」と呼びかけて競走に負けてしまったうさぎは口惜しくて仕方なかった。
世間ではカメに負けたうさぎと言われ馬鹿にされている。そこでカメに再び競走を申し込んだ。
ところが一回目は丘を間違え、二回目は二日酔いで、三回目は睡眠不足で、四回目は睡眠薬の
飲み過ぎでどうしても勝てない。哲学書を読めば丘の途中で冥想にふけり、強壮剤を飲めば岩に
つまずいて失神し、いねむりをしていたのと同じ結果で負けてしまった。


 旅に出てネズミやリス、犬やシマウマ最後は虎にまで勝って自信をつけたが、帰って来てカメと
競走すればやはり勝てない。友人達は呆れたけれども、うさぎの人気は上がりファンが付くようになった。
弱者に同情する連中はカメを憎々しく思うのであった。

うさぎは他に原因があるかもしれないと考え、コースの検査をし健康診断をし精神分析医にも診て
もらったが何の問題もない。系図を調べ、おはらいをし、ついに神に祈る心境になった。


 天にまします万物の神に向かって、この哀れなうさぎの願いをかなえてくださるようにと祈った。
祈りを終えスタートすると今日こそは絶対勝てるという自信が湧いて来た。丘の中腹も過ぎ、
頂上は目前。もちろんカメははるか後方、ゴールのテープにむかって身を躍らせる・・・・。
見物席がざわめいた。「ウサギのやつまた丘の中腹で倒れた。しかし、こんどは様子がへんだ」
近寄ってみると心臓が止まっていた。二度と目覚めることのない眠りだった。
「ついに一度もカメに勝てなかったな」「しかし、なんという嬉しそうな死顔だろう。
勝って喜んでいるようだ」


 皆は死を悲しみ、丘は「ウサギの丘」と名付けられた。
永遠に皆の心に住み続けるように。これこそが人生なのだ・・・。

一方カメは誰一人かまう者もいなかった。カメが何をしたというのか。
なにひとつ面白いことをしてくれなかったではないか。物語にもお話にもならない。
死ねば紙面に載りああ、あの時のカメかと思い出すだろうけど、でもカメはなかなか死なないものなのだ。

出会い系サイトの女は嘘つきばかりだと男は思った。二十歳だといっておきながら、
どう見ても五十歳間近かだったり、スタイルに自信があるといえば胸と腹が一体化
している。若く美しい女性と交際したいのに、そういう女性からは全く反応がない。
「どうしてこう女にもてないんだろう」とさんざん悩んだ男は地球以外にも女は
いるだろうと考えて宇宙へメールを送ることにした。
「どなたか私と交際してくださる女性はいませんか」

幸運なことにどこかの遠い星から返信が届いた。「私でよろしかったらお友達に
なりましょう」男の頭はたちまち沸騰し夢中になって愛の交信が始まった。
「ご返事いただけて幸せです。地球という星では私は相手にされていないのです」
「まあ、お気の毒に・・・地球の女性には人を見る目がないのですね」
相手の女性は優しく男は天井知らずにのぼせ上がっていった。そして「ああ、ひと目
でいいから、あなたの顔を見たい。ぜひあなたの写真を送ってください」


 男はそうはいったものの不安と期待に胸が震えた。優しい女性といっても宇宙人、
見るもおぞましい緑色の生物だったり、ブヨブヨの軟体動物だったらどうしよう。
それでも今までと変わらず愛情を持ち続けることができるだろうか。
送られてきた写真におそるおそる目を開いた男は驚愕した。輝くような白い肌、
黒目勝ちの瞳、綺麗な歯並びを見せて優しく微笑んでいる口許。
地球の女性よりはるかに美しく優雅だった。

「あなたは何と美しいのでしょう!ああ、あなたに会いたい」口惜し涙をこぼす男
を女は慰めた。「私の星には性能の良いロケットがありますから、よろしかったら
お伺いします」「本当ですか?夢のようです。お待ちしております」


 男は雲の上にでもいるような幸せな日々を過ごし、いよいよ約束の日が来た。
精一杯身なりを整え朝早くから空港で待ち続けた。「本当に来るんだろうな」と
腕時計に目をやった時、巨大な宇宙船が静かに舞い下りてきた。
そしてその勇姿を横たえるとドアが開いた。現れたのは男の何十倍もある巨人だった。
「私を待ってくださっているかた・・・」とその声が空港中に響きわたる。

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